4月26日 しばらく親鸞から学んでみよう・・・と思う

うーん、寒い。

今週は寒い日が続く。

ほんと日曜日にカヌーを楽しんだのが嘘のような天候。

ラッキーでした。

 

今週は少しずつ「すらすら読める歎異抄」を読み始めている。

これは、親鸞の言葉を弟子が記録したもの。

 

読みながら、なるほど人の悩みというのは時代を超えて同じものなのだなと思うところが多数ある。たとえば、「親鸞は弟子を一人ももたず」として、こう書かれている。

 

ひたすらにお念仏の道を歩んでいる仲間のあいだで、あれはわが弟子、これはひとの弟子といった言い争いのあること、これはもってのほかのことだ。

親鸞には一人の弟子だってない。なぜとなれば、わたしがめんどうをみてやってその人にお念仏をさせたのであれば、その人はわたしの弟子であろう。しかし、ただ阿弥陀仏のおはからいによってお念仏をしている人を、わたしの弟子と言うことは、とんでもない思いちがいである。

一緒になるご縁があれば接近し、遠く離れるのが縁であれば、そのときは離れるだけのことなのに、師にさからい、他の人の指導によって念仏すれば往生できないと主張したりするのは、まさに言語道断である。阿弥陀如来によりいただいた信心を、あたかも自分が与えてやったかのような顔をして取り戻さんとするのであろうか。どう考えても成り立たぬことだ。

 

これは、いろんな世界にあることなんじゃないだろうか。教育の世界でも・・・。

今日から、「親鸞」(五木寛之著・講談社文庫)を読み始める。

しばらく親鸞の生き方から学んでみようと思う。