ずいぶん以前に、妻が知り合いのお母さんから「素晴らしい先生が担任なの」という話を聞いて、ずいぶん珍しい話(今年の担任がひどいという噂話はよくあれど、こういう話は残念ながらあまりないのだ・・・)だなと思い、「何ていう先生?」と聞いたところ、随分前に私と一緒に学年を組んでいた先生だったという話を書いたことがある。
で、ずいぶん長い間、どうしようかと迷った末に(1年以上・・・)、先月、小学校に電話をして、その先生とたぶん17年ぶりに話をして「授業をみせてくれない?」とお願いをして、・・・そして、今日、6時間目の授業を見せてもらった。
私が彼と学年を組んだのは、彼が初めて講師として教壇に立った年。心の病で休まれた先生の代わりに、6年生担任として11月から教壇に立たれた。学年、時期からそれがどれほど大変なことなのかは想像いただけると思う。まして、その学校は地域でも有名な困難校だったわけです。
それから、採用試験に合格され、いくつかの学校で経験を積まれ、今の学校へ。今の学校も地域では有名な困難校だ。
授業開始20分前に学校に着き、校長先生と話をしていると、あっという間に授業開始時刻となった。校長先生に案内いただき、教室へ。
そこには、17年前の面影を残しながらも経験を積んだ教師となった彼の姿があった。
授業を見始めて5分も経たないところで、多学年の女性教員が「先生!」と言って私の方に近づいて来られる。「???」
教壇から彼が、「糸井先生の教え子らしいですよ」と声をかけてくれる。
「えっ?ちょっと廊下で話そうか」と廊下に出て、その女性教員と話をする。
何と、25年前になるのだろうか。私がその女性教員が小学校3年生の時に担任した子だった。苗字を聞くと、名前が出てきて、「あーっ!」という感じ。
さてさて、話を授業に戻そう。
タブレットPCを使いながらの国語の授業でした。
活発で無邪気な男子と思春期に突入した女子。ああ、こんな感じだったなあと公立小時代を思い出す風景でした。
授業後、少し彼と話をする時間がもてました。
「糸井先生、普段の授業を見てもらいました。どうでしたか?」
と聞かれました。私は、
「今日は、授業というより、子どもたちの様子を見せてもらった。よくまとめてるなあ。女子はそっぽを向いているようだけど、実は先生にかまってほしいんだよな。そういう感じが伝わってきた。ありがとう、いい勉強をさせてもらった」
と話している時に教え子の女性教員がやってきて、昔話に花を咲かせていると、
「本当に3年生の時は楽しかったです。特に社会科で自動販売機を調べて・・・」
と話してくれた。
ひとしきり話をして帰宅すると、注文していたCDが届いていた。
アニタ・オデイの1957年のアルバムだ。いやあ、実にいい。
彼も教え子の彼女も学びたい気持ちはいっぱいのようだった。
そうか、私がこの学級で飛び込み授業をさせてもらえばいいのか・・・。
だが、できるのか?この困難校といわれる学級にチューニングを合わせ、1時間の自分の授業をやりきる力量が今の自分にあるのか。少し悩んでみよう。
それにしても、懐かしいの一言では言い表せないほどの懐かしさを感じた一日だった。